日本で有名なプロレス団体が新日本プロレス。
2000年を迎えてから徐々に人気の火が消えていたプロレス業界。
そんな苦境の時代を、棚橋選手やオカだ選手、内藤選手など人気の高い若い世代の選手たちが台頭し再び人気に火を付けました。
知名度の高いプロレス団体ですが、設立者がアントニオ猪木さんとご存知でしょうか?
猪木さんはご自分の都合でやむなく、新日本プロレスから離れていきました。
新日本プロレスとアントニオ猪木さんの関係性、さらには近年になり新日本プロレスの人気が回復した理由について解説していきます。
[cc id=55 title=”目次”]プロレス時代のアントニオ猪木とは?
アントニオ猪木とは1960年代から日本の伝説的レスラー力道山にスカウトされたことでプロレス界に入団したレスラー。
プロレス界ではジャイアント馬場さんと並び力道山の弟子として有名です。
経歴を軽く解説していくとこのようになります。
デビュー後にアメリカでの修行を経て日本へ帰国。
帰国後は日本プロレスと呼ばれる師匠である力道山が運営する団体に所属し活躍します。
日本プロレスで猪木はプロレスのダイナミックな見せる技で人気になり、日本で最高のレスラーの1人に上り詰めました。
その熱い燃えるような戦いぶりから『燃える闘魂』という2つ名もあります。
観客を厚くさせるファイトスタイルで不動の人気の座を手にしたレスラー事が分かると思います。
そんな、猪木さんの有名なフレーズとしては『1、2、3、ダァー!』が有名。
日本人である程度年を取っていればこのフレーズを耳にしたことがあると思います。
文字通り国民的な知名度と人気のプロレスラーがアントニオ猪木さんです。
[cc id=16 title=”アドセンス”]新日本プロレスの歴史
まず最初に力道山が運営していたプロレス団体の名称は日本プロレスです。
このプロレス団体にアントニオ猪木さんも所属していました。
しかし、日本プロレスという団体では日本人同士の対決が禁止されていました。
時代の流れという事もあり、日本人vs外人という構図が徹底されており日本人同士の仲間割れとも取れる戦いはNG。
仕方がない事ですが、この掟の為に同じ弟子であり最高のライバル・ジャイアント馬場との対決実現されません。
そのルールで馬場との対戦が実現しない苛立ちや、度重なった日本プロレスへの経理への不信感から師匠の団体・日本プロレスを脱退。
しかし、プロレスを続ける意思はあり自ら新しい団体・新日本プロレスという日本プロレスという団体を設立します。
当然、日本プロレスではタブーにされていた日本人同士の戦いを解禁し日本人対決で盛り上がって行きます。
色々なことがありましたが、結果としてはアントニオ猪木と師匠達との決裂によって現代の棚橋選手やオカダ選手が所属する新日本プロレスは生まれたんです。
ちなみにですが、現代にもあるもう1つのビッグ団体・全日本プロレスはアントニオ猪木さんのライバル・ジャイアント馬場さんが設立した団体です。
同じ師匠を持ちながら決裂した2人の団体という事もあり、2つの団体は仲が悪いという事でも有名です。
猪木が離れた理由は?
新日本プロレスを立ち上げたアントニオ猪木さん。
プロレス以外にも仕事をしていました。
その仕事とは海外の目新しい物を輸入したり、新しい技術に投資すること。
有名な話ですと、メキシコにある激辛調味料タバスコを最初に日本に輸入したのが猪木さんだといわれています。
目新しい様々な物などを輸入して、俗に言う副業でも成功していたレスラーなんです。
しかし、この副業で投資したのが永久電池の開発。
無限に使える電池を研究しているチームに多額の投資を行ったのですが、それが失敗に終わった模様。
現代に永久電池が存在していないことからも、失敗したのは明らかです。
この永久電池への投資費がかさんだのか?
それとも別に理由があったのかは別にしても、猪木さんは自分で設立した新日本プロレスの株を売却。
その結果、猪木さんは新日本プロレスの経営権を失いユークスというゲーム会社に新日本プロレスの運営権が映りました。
12年にはユークスが新日本プロレス株式をブシロードに売却。
こうして、現代の新日本プロレスの経営権はブシロードに移りました。
ブシロードに経営権が移ったのが現代の人気の理由!
このブシロードへの売却が人気が下火になっていた新日本プロレスの人気回復へ繋がります。
プロレス会場と言えば、おっさん達が集まり怒号を上げて応援していたりプロレスラーに対しても恐いイメージが強かったです。
恐いイメージというのは、格闘技故の派手な技を繰り広げたり流血したり、時にはさせたりという姿から恐いイメージが根付いていました。
その結果、新しい客層や女性の客層はほぼゼロ。
決して女性が1人で行くような場所ではなかったし、暴力性ゆえに子供にも見せたくない番組でした。
しかし、ブシロードに買収された後にブシロードが行った行動。
それが、まさに恐いイメージを払しょくするものでした。
皆さんは、こんなCMを見たことがありませんか?
現代の新日本プロレスのエース、レインメーカーことオカダ・カズチカ選手が子供向けのカードゲームCMに登場。
このCMの結果、子供たちや子供を育てる母親層にマッチョで優しいお兄さんが定着。
さらに、腐女子と呼ばれるオタク系の女性達にもヒット。
こうして、暴力性や恐いイメージを払拭したことでプロレス=カッコイイ人の見せる戦いというイメージが定着。
下火になっていた人気ですが、近年では最大収入を記録するなど人気が回復していることが分かります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
アントニオ猪木さんと、彼が設立した新日本プロレスの歴史を解説しました。
猪木さんは新日本プロレスの設立者だったものの、色々とあって手放すことになりました。
その後、人気が下火になる年が続きましたがブシロードに買収されて以来は人気を回復。
プロレスに根付いていた悪いイメージ、暴力や流血、危険な会場というイメージを払拭し女性にも支持されるようになったわけです。
現代では人気が全盛期張りに回復しており地上波での放送回復も近いといわれています。
子供に危険な事を指せない、教えないという時代故に深夜やBS放送の可能性が高いですけど。
それでも、地上波にプロレスが帰ってくる日は近いでしょう。
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